あまり楽しい内容じゃないよう。
以前の日記にもちらりと書いたのだけど、お腹の娘っこができる前に天使が一人おる。
(…と書いただけで泣けてきた。こらこら。)
ここのところ、お腹の娘っこがいるので考える時間も少なかったり、すっかり受け止めた感じになったりして気分が重くなることはほとんどないのだけど「ないことにはしたくない」と思うし、いつかお腹の娘っこにも話をするときが来るかもしれない。
それに、先のTwitterの話題の中でもちょっと気にかかった「無介助出産」の件。「母子に何かあったとしても、受け入れる」と言い切る親に対して思うところもあり、記録だけしておこうと思う。
さあ、ここから先は結構へヴぃーな記録なので、見たくない人は他の楽しいサイトへどうぞ~~~。
年末にどうも体調がおかしかった。
お腹は痛いのに月のものも来そうで来ない状態が続いていた。
結果、検査薬で妊娠+判定。
正直言って、 びっくりしたし戸惑いもしたし実感もない。
オットさんと一緒に病院に行くと、「いるね、おめでとうございます。」と言われたけれど、帰りの車の中で「できたねー。実感ないねー。」と話していた。
というのも、私自身高校生くらいの時から漠然と「結婚しないし子供も産まないだろうなー」と思って生きてきたし、この年になってオットさんみたいな結構年下な旦那さまと結婚したことがまず驚きだったし(むしろ年下だったから思い切って結婚できたのかも?笑)、その上高齢出産に近い形での初産に差し掛かろうとしていたし「もしかしたら不妊治療が必要かもしれないなー。」と思っていた。
オットさんは結婚する前から「俺は子供はいてもいなくてもどっちでもいいんだからな。くりすが不妊治療で辛い思いをするのは見たくないし。」と言ってくれていたし、婚約してすぐにお義母さんから何度も「早く子供を」と言われてもキッパリと「ふたりで決めることだから」と守ってくれていた。
「夫婦二人の生涯」というのを、半分覚悟したような感じでいたので正直な気持ち、贅沢なのかもしれないけど「どうしていいやらわからない感覚」だった。
1月9日。
会社で生理痛がするような気がした。
オットさんに「なんか生理がくるような痛み」とメールした。
そして直後、トイレに行くと鮮血。
「うわっ」と思って、下のコンビニで生理用品を買ってとりあえず対処。
動揺しながらも妊娠初期には出血することもあるらしい…とネットで見て少し安心しつつもしばらくすると、腹痛に波があることに気づく。
「もしかして」と思いながら、この仕事だけ終えなきゃ…と思ったけど手につかず、会社のお使いを頼まれて近くの店に行くも立っているのもしんどい。
エスカレーターの手すりを思い切り掴んで、何回か腹痛の波を乗り切った。
店内では、きっとひどい顔をしていたと思う。
会社に戻り、事務所では普通に歩き、仕事をこなし、電話を受け、笑顔で受け答えしていたと思う。
「やっぱりおかしい。この作業が終わったら早退しよう。」
と思ったときに最大の腹痛の波。
何かがすーっと流れ出るような感覚。
会社の人たちに悟られまいと、普通に立ち上がり、廊下に出て、やっとのことでトイレにたどり着き、座った瞬間、ザーっと大量出血。
ネットでいろいろ見ると血の塊が云々とか書いてあるけど、私の場合は全体的に真っ赤に染まってて塊があったかどうかも定かではなかったし「何か塊が出た感覚」も分からないくらいの腹痛だった。
トイレでオットさんに「だめかも」とメールを打った。
「まじか」とだけ返信があったように記憶してる。
そして、大きな腹痛の波は消え「しくしく」と痛むだけになった。
うちに帰り、病院に電話。
「うーん。痛いの?まだ血が出てるの?じっとしてるしか方法はないから1時間我慢してみて。」
1時間後
「まだ痛いの?じっとしてるのが一番いいんだけど…もうちょっとじっとしてて。」
2時間後
「うーん。そういうときは動かない方がいいのよ。でも、なんで痛みだした時すぐに来なかったの。
仕事場からすぐ来れば診察時間に間に合ったでしょう。
明日健診の予定が入っているみたいだから、明日の朝イチに来てください。」
と言われ確かに自分の過失だと思った…。
でも、何回か診察してもらっている病院でまさか出血しても「時間外だから」と診てもらえないなんて思ってもいなかった。
しくしく痛むお腹を押さえて翌朝病院に。
待合室で待っている間、前は目にも付かなかった待合室の掲示板の内容がやたら目についた
- 中絶費用一覧表
- お知らせ「”念のため”の受診はお控えください」
- 軽度の交通事故後の診察は夜間はお受けできません
やたら長い時間待たされ、エコーを見て先生から
「わかってると思うけど、もう赤ちゃんいないから。
初期にはよくあることだし、誰にもどうすることもできないから仕方ないね。
来週またきてください。」
それでお終い。
妊婦以外は診察室に入れない病院だったので、オットさんに告げなくてはと思いつつも、声を出すと涙が出て来そうで何も言えなかった。
でも、悟ってくれた。
車に乗った瞬間大泣き。
泣く私を見て、オットさんも泣いたらしい。
頭がおかしくなりそうで、うちに一人でいるのも嫌だったので翌日も普通に会社に行った。
翌週、再度診察。
「きれーーーに全部でちゃってるから、大丈夫。
きっとすぐ生理が来ると思う。すぐ作っても大丈夫です。
お腹はもう次の妊娠の準備をしてるから、あなたも頭切り換えて。」
先生が言ったように、その日から次の妊娠まで、そう時間はかからなかったのだけど二度とその病院には行かなかった。
今の病院は、初診のときに「何かあったらすぐに電話して。夜でもいいから来てください。」と言った。
母親学級では、なるべく赤ちゃんが自然に産まれ出てこれるように、36週を過ぎたら事前処置を始めることを説明している。
事前処置が有効である説明や、もちろん事前処置を受けない選択が可能であることも説明してくれる。
ここでいう「自然に」とは、無介助を意味するのではない。
今お腹の娘っこは33週。
妊娠すること、出産すること、生まれ育つこと。
本当に奇跡のようなことだと思う。
前の子は淘汰されたのだ。と言われてしまえばそうかもしれないけど。
守れるものならば守りたかったと思う。
病院の選択だったり、自分の行動だったり、守れた「かもしれない」命。
「失う覚悟」なんてできない。
それとも流産でさえ「自然なお産だった」と受け入れる?
ただただ、思うことは。
守れるものならば守りたかった。